続・閑人舎通信 ー信州貧困老人の怠惰な日々

信州の片田舎に暮らす貧困独居老人(生活保護利用)の悲惨な日常

民泊客と山遊び

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フェイスブックなどで宣伝をしているので時々わが無届け民泊所にも物好きな客がやって来る。
生活保護利用者の独居する「暗渠の宿」(北町寛太)のような安アパート(家賃4.3万円)の陋屋は確かに珍しい社会科見学かも知れない。ナショナルミニマムの底辺暮らし、その「健康で文化的な生活」なるものを覗き見てみたいと思うのは昭和日本人の隠れたエートス「貧乏好き」「落魄趣味」のせいである。
ようやく65歳になってお役御免、完全リタイアしたばかりの小林が無精ひげで久々に来宿した。久闊を除して痛飲も昔と違って10時にはダウンする。これから先の長すぎる老後、はじめての絶対自由「何もしなくていい、何をしてもいい」について先輩面をして論ず。老人初心者を脅かす。
民泊客がありがたいのはその間の食い物、出先の費用をすべて客が負担してくれるからである。ふだん人間と会話する機会のない独居老人もそのときは人間相手にタダで大いに遊ぶのである。結句、4泊した小林には例によって馳走になり散財させた。申し訳なくもありがたいことである。
気温は上がらなかったがよく晴れた一日、塩田平の貧困老人里山徘徊№205独鈷山(1266米)に遊んだ。丸子の虚空蔵堂から沢を直登する宮沢コース。
どうということのない小さな里山だが、冬の間惰眠をむさぼり、なぜか7キロも肥えた老体には後半の急坂がひどく堪えた。死にそうになって足が止まり小林に笑われた。春先の山歩きはしんどい。
山頂から早春の塩田平、溜池ばかりの雨乞いの里を見下ろす。背後に白い美ヶ原台地、蓼科からつづく八ヶ岳、北に飯縄。肌を刺す冷気は早春賦そのものだがいつもの心地よい疲労であった。
こんな里山でもたしか池内紀が「ひとつとなりの山」で書いている。山中で出会ったのはやはり70過ぎの老人ふたり。この辺りの里山は老人しかいない。いつ来ても楢山のようだと思う。
帰路の一湯は武石村の美しの湯につかった。寒い露天風呂で足を揉んだ。
翌日、佐久平には季節外れの雪が終日舞った。おかしな早春である。桜の蕾のまだ固い。
もう2、3山歩けば今年も山遊びの体力が戻ってくるかもしれない。それには遊び友達の民泊客でもまた来ないかとひそかに待機している。それが民泊の宣伝をする唯一の理由である。